薪とペレット&ストーブのノウハウ

森のめぐみを活かした暮らし

森と日本人

日本は資源の少ない国、というのは誤解!

水と森という豊かな資源に恵まれた日本は、現在、先進国の中で第2位の森林大国であり、国土の68%が森林でおおわれています。(1位はフィンランドの74%)また、日本は沖縄の亜熱帯から北海道東部の亜寒帯まで多様な気候であり、かつ狭い国土に3000m級の山をもつ急峻な地形のため、多様な森林形態および生物多様性を誇っています。

では、日本人が森を使って暮らし始めたのは、いつからでしょうか。それは、縄文時代だといわれています。縄文時代には木を使って火をおこし、森で採れるキノコやドングリ、山菜などを食料にしてきました。森林を刈り開いて火をつけ、焼け跡に作物の種を蒔く「焼き畑農業」も地域によっては行われていたとされています。

また、森の落ち葉や草木の若芽や若葉を刈り取り、田に敷きこみ腐敗させ肥料にする「刈敷」も行われ、水田耕作の肥料としても森が使われるようになりました。水田開拓の広がりの他、平安京・平城京の建設や神社仏閣の建築ラッシュによる木材需要増加により、600年から850年は日本の森林が著しく伐採されたはじまりの時期ともいわれます。

その後も、寺院建築、仏像などの木製彫像、住居建設、水田開発など木材需要は増加の一途をたどり、室町時代には犬居町秋葉神社でのスギ、ヒノキの植林(天竜での人工造林の開始) 、奈良県吉野川上郡でのスギの植林(吉野での人工造林の開始)を皮切りに本格的な人工造林がはじまります。

江戸時代に入っても木材需要はとどまることなく森林の荒廃が進み、1710年までには本州、四国、九州、北海道南部の森林のうち、当時の技術で伐採できるものの大半は消失されたようです。この頃には、日本列島の各地に「禿げ山」が生じ、河川氾濫や台風被害などの災厄をもたらしました。

このことに憂慮した江戸幕府は村々での植樹・造林を命じ、保安林目的に「御林(おはやし)」という幕府の直轄林を設けました。また、一山すべてを入山禁止・制限し森林の取り立てを図った「留山制度」、特定の樹種を指定し伐採を禁止・制限した「留木制度」という森林保全・保安林の制度も制定されました。

このような江戸幕府の積極的な植林事業の甲斐もあり、落葉広葉樹やスギ、ヒノキが造林され、薪炭や用材として使う分だけ木を伐るという持続可能な利用が実現し、日本列島の森林資源は回復に転じていきます。

明治維新後、再び里山の森林は荒廃に向かいますが、山林保護規制も課せられ、国や民間による造林も盛んに行われますが、太平洋戦争の開始とともに大量の木材や木炭が必要になり、森林は軍需造船・建築・坑木・薪炭用材として多くの大木が伐採されただけでなく、風致林、社寺林、防風林、幼齢林までも伐採され、全国各地の山が禿げ山と化したそうです。このため全国各地で大水害が発生し、これらを阻止するために荒廃林地への植林が国家再建の重要課題になりました。1950年には、緑化運動推進母体として「国土緑化推進委員会」が結成されます。

戦後になると復興のため木材需要が急増し、政府は「拡大造林政策」を実施。現在の山の風景が生まれます。それは、スギやヒノキなど成長が早い針葉樹の人工林が広がる山です。拡大造林政策で、広葉樹からなる天然林の伐採跡地などを針葉樹中心の人工林に置き換えられ、さらには里山の雑木林や奥山の急峻な天然林までもが伐採され、スギやヒノキなど成長が早い針葉樹が植えられました。当時は、建築用材となるスギやヒノキの経済価値は高く、需要増加に伴い価格は急騰し、一大造林ブームがおこりました。

ところが、その後外国産の木材輸入が自由化され、価格の高い国産材よりも外材の重要が高くなりました。さらには、家庭用燃料が薪炭から化石燃料へと置き換わり、日本の森林資源は、建材としても燃料としても価値を失い、林業は衰退。1960年に約44万人存在した林業労働者は、2005年には9分の1程度の約5万人規模となっていきます。

日本の森林価値の低下により、利用されずに放置された人工林は、必要な間伐などの手入れが行われないために森としての健全性が失われ、荒廃してしまいました。そして、現在の日本の森は、木の使い過ぎによる危機ではなく、木を使わなくなったことによる歴史上初めての危機を迎えているのです。この危機を乗り越えるべく、木材の需要を増やすための対策、荒廃した森林を再生させる様々な取り組みなどが、官民をあげて全国的に進められています。

近年、警鐘が鳴らされる地球温暖化問題に関しても、森林は二酸化炭素の吸収や、カーボンニュートラルなバイオマスとして、重要な役割を担っています。排出量取引やカーボン・オフセット等の新たな取組は、森林の二酸化炭素の吸収機能や木材利用による二酸化炭素の排出削減機能に対して経済的な価値を付与し、新たな収益を生み出す意義をもっており、林業の活性化、林業を基幹産業とする山村の活性化につながります。いまこそ、山の恵みである「木づかい」を無駄なく行っていくことより、林業・山村の活性化を図り、同時に低炭素社会が実現できるチャンスともいえるのです。